「妥協は死」 設立当初から少し意味が変わった社訓
妥協の欠片は目に見えないけれど、一生残る。
星野『神風動画』さんの社訓は、とても強い言葉で、ハッとさせられました。 水崎今も言葉は間違っていないと思いますが、意味するところは少し変わったかもしれません。妥協したものは心の中に欠片として残っていくような気がするんですよ。それは人には見えないし、自分だけが気になるものだったりするのだけれど、自分が妥協した時点で作品は死んでしまう。その欠片は、一生残り、ずっと背負っていくものになると。 星野だから「妥協は死」。欠片という言葉はとても重い気がします。 水崎たかが欠片と思うなかれ、です。ただ、妥協はしないけれど、妥協“点”が必要なときはあります。そこでいいかどうかのラインを見極めることは絶対に必要ですし、このラインは高いところになくてはいけないと思いますが。「妥協は死」だけれど、妥協“点”は必ずしも「死」とイコールではないと感じています。 星野なるほど。クライアントあっての僕たちだと分かっていますが、“点”のラインを探る攻防が、時に妥協へと流れてしまう場合もありますよね。 水崎確かに、クライアントは僕らのために対価を払ってくれる大切なお客様ではあるけれど、僕たちはプロフェッショナルとしてクライアントをサポートするビジネスパートナーでもあるわけです。この関係は絶対に対等であるべき。ここが同じ考え方でなければ良い仕事はできないと感じていますし、もっと言えば、『神風動画』の作風でなければダメだと考えてくださる相手でなければ、妥協点を飛び越えて、妥協の方向に進んでしまうでしょうね。 星野そこで悩んでいるクリエイターは多いと思います。 水崎ひとつの手段として、僕は絶対に2案出しません。比較させないことです。「これが良い」となる方向に持って行けますから。
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