インスタントコーヒーで立話

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古橋織布有限会社 濵田 美希 Miki Hamada

「布愛(ぬのあい)」

tekuiji DESIGN×difott 上履き入れプロダクトでこだわった生地。
「difott」の後藤さんが兼ねてから懇意にし、
テキスタイルに対する情熱とアイディアに国内外から定評のある
浜松の織屋「古橋織布有限会社」で、こだわりの生地を選ぶことに。
25歳という若さながら、生地、こと綿に対する熱い情熱を持つ「古橋織布有限会社」の
企画営業である濵田さんと、デザインに確固としたポリシーを持ち続ける
「tekuiji DESIGN」星野が、語り合ったものづくりとは?

“布愛”がつないだ「古橋織布有限会社」との出会い。

星野今回、濵田さんが初めての女性ゲストなんですよ。
濵田そうなんですか?!光栄です。
星野女性の視点は僕も勉強になるので、楽しみにしていたんです。
濵田普通の女性の視点で話ができるか分かりませんけど(笑)。
星野いや、ジャンルは違いますが、企画し形にするという点では、大きなカテゴリーとして同じジャンルかなと。
なので、そういう視点で、という意味です。
濵田ご期待に添えるか分かりませんけど。
星野大丈夫でしょう!『上履き入れプロダクト』の生地選びをさせていただいた時にも感じたんですが、濵田さんの“布愛”はハンパないですから!!
濵田“布愛”!そんな言葉を言っていただいたのは初めてですけど……そうですね、生地、特に綿は大好きです。
星野その“布愛”を生かすところが、ここ「古橋織布」さんだった。
濵田そうです。私が卒業した「文化服装学院」は服飾が花形でしたが、私は服飾よりテキスタイルに興味があったので、テキスタイル科に
在籍していました。そして就職する頃には、もっと生地を極めたい、「ものづくり」に携わりたいという気持ちが大きくなり、
メーカーではなく、織屋さんにと考えていました。そんな希望を持つ私を拾い上げてくださったのが、今の社長です。
星野でも、生まれも育ちも東京で、よく浜松に就職しようと思いましたね。それだけ強い意志があったということですよね? 
濵田さんがそのとき感じた「古橋織布」さんの魅力的は?
濵田伝統ある織屋さんで、現場があるということ。そして最大の魅力は、綿にこだわりを持っていることでした。
綿が好きな私は、実際に現場を見て、大手メーカーにない緻密な製品を作ることができる現場だと感じました。あとはタイミング、でしょうか。
その頃「古橋織布」も受注生産だけでなく、自分たちで企画した生地を売り込む戦略に舵取りして行こうと模索していたんです。
生地を企画したい私、自販に力を入れたい「古橋織布」。両者の想いが重なった、ご縁としか言いようのないものに導かれた気がします。
星野濵田さんの“布愛”がなければ、今、ここにはいなかったかもしれませんね。
濵田はい。本当にこの出会いに感謝しています。

自他共に認める“生地オタク”。自宅のたんすの中は生地だらけ!

星野そういった経緯を聞いて、ショールームの生地たちを見直してみると、濵田さんの“布愛”が一層感じられますね。
根っからの“生地オタク”なんだねーと(笑)。
濵田“生地オタク”(笑)。いえ、実はその通りなんですよ。自宅のたんすの中は生地だらけなんです。 
星野洋服じゃなくて?
濵田デザイナーさんなどと一緒に作り上げた生地でできた洋服は、もちろん購入していますが、それ以上に生地が溢れていて……。
星野まさかの生地コレクター?!その生地はコレクションするために購入しているんですか?
濵田いえ、自分で服や小物などを作る目的で、気に入ったものを購入しているんですけど……作るより買う方のペースが早くて追いつかないんです。
星野ああ、「この生地であれを作ってみたい」って欲求より、惚れてしまう生地の数が多すぎるんですね、きっと。
濵田その通りなんです。第一印象はもちろん、触ってみたら「何これ?!」って驚かされる生地も。作り手さんのこだわりなんか聞いたら、 
感情移入もしてしまって、完全に惚れてしまいます。そうなると、もう、ダメですね(笑)。
星野濵田さんのテキスタイルコレクション、見てみたいですね。その中で一番のお気に入りや、一番衝撃を受けた生地はありますか?
濵田どれも(笑)。生地との出会いはいつも私に衝撃と探究心と向上心を与えてくれます。海外のカラフルなプリントものや、 
世界一薄いポリエステル、シルク……さまざまな生地と出会ってきましたが、そんなときよく思うのは 
「こういう色合い、風合いを綿で作れたらステキだろうな」と。
星野濵田さんの“布愛”は綿が原点ですからね。
濵田そうです。綿の魅力をもっともっと引き出したいですし、知って欲しい。
星野生地のコレクションには海外のものも多くあるんですね。
濵田はい。日本とは違った良さ、技術があるので勉強になります。トルコに行った際は、完全にテキスタイル旅行でした。刺激的でしたね。 
あと、革も好きなので、牧場、革のなめし工場、縫製工場、ショールームと、革製品の行程も一通り見学させてもらいました。
星野実は僕も、革が好きなんですよ。
濵田やっぱりそうですか! この上履き入れ、持ち手のところが革だったので、こだわりがあるんだろうなと思っていました。
星野そこもこだわりがありましたけど、デザインがより引き立つ素材選びも重要なミッションだったので、生地選びは特にこだわりました。
濵田綿にこだわっていただいて、さらにこんなステキな製品になって、私もうれしいです。
星野ありがとうございます。濵田さんの企画した生地だけでなく、工場を見学させていただいて、織りのこだわりとクオリティも高いと感じました。 
このプロダクトで「古橋織布」と、濵田さんと出会えたことが何より、刺激になります。


87年の歴史ある織屋。そのプライドと情熱が他にないテキスタイルを生む。

星野織屋の工場は初めてですけど、いろいろと、興味深いですね。
濵田ここの織り機は、昭和時代に活躍していたもので、今ではこの織り機を使っているところは全国的に見てもほとんどないはずです。
星野昭和の織り機ですか。
濵田はい。古いものですが、これでないと織れない生地もあるんです。
星野この織り機で織っているから「古橋織布」のオリジナル生地が生まれるんですね。
濵田最新の織り機は大量生産もできますし、長所はこの織り機に比べてたくさんあるのだと思います。
正直、この織り機はすでに部品を手に入れるのが難しい状況ですし、メンテナンスも大変です。ですが、他にはないテキスタイルを作ることができる。
この織り機に関わっている現場のプライドと情熱も含めて、ウチの強みだと思うんです。それを生かすも殺すも企画次第。
星野やりがいがありますね。
濵田プライドと情熱を持った現場の方々との仕事は、本当にやりがいがあります。ここでなければ、私が本当にやりたかったことが
できなかったと思います。 私を採用してくれた社長はもちろんですが、若い私が企画した生地を形にしてくれる、現場のみなさんには
本当に感謝しています。 周りに支えられているからこそ今の自分があるのだと。
星野チームとして仕事をする楽しさ、大切さは僕も実感しています。
濵田あとは「ものづくり」の現場がこれほどまでに素晴らしいものだったのかということも、ここに来なければ知り得なかったと思います。

幼少の頃から身近にあった綿。自分の道をあきらめたくなかった。

星野濵田さんはいつから生地に興味を持ち始めたんですか?
濵田幼少の頃からあったような気がします。父方の祖母は縫製の仕事をしていましたから仕事ぶりを見ていましたし、
母方の祖母からはお裁縫を教えてもらいました。布製のものであればリペアして使い続ける祖母で、
ものに対する気持ちにはとても厳しかったです。 「縫えば使える」と。もちろん、手作りもしていましたね。
私もお裁縫は大好きで、小学4年のときには自分で縫った帽子を被っていました。
星野4年生で自作の帽子?!すごいですね!
濵田その頃はテキスタイルという言葉も知らないし、生地を作るなんてことも考えてはいませんでしたが、
綿という生地の存在は常に身近にありました。 意識はしていなかったかもしれませんが、自分で縫うという作業を通して、
生地に興味を持っていったのだと思います。
星野その“布愛”が専門学校へ進む原動力になった?
濵田そうなんですが……。実は進路を決める際に、両親からは「将来、地に足をつける仕事に就くために、大学を受験しなさい」
と言われていたんです。
星野両親を説得したんですか?
濵田いえ……(苦笑)。自分の気持ちは決まっていましたけど、情熱だけでは両親は説得できないと思ったんです。
両親の言っていることも分かりましたから。だから、まずは結果を出して説得しようと、必死で受験勉強をして、
受けた大学はすべて合格しました。 そこで初めて両親を説得して、専門学校の2時募集に滑り込みセーフで間に合いました。
星野力技というか、確信犯というか。
濵田どちらかと言うと、確信犯ですね。「大学を“受験しろ”とは言われたけど、“行け”とは言われてないよね?」って思ったんで(笑)。
星野それは……冷静にツッコミを入れたいところですね。言葉への着眼点に優れているとも言えるけれど……。
濵田揚げ足を取ったとも言える(笑)。
星野いや、でも、その考え方と自分の道を切り開くパワーに脱帽します。
濵田結局は両親も「やっぱり手に職だね」と言い始めましたから、両親を説得する方法と、自分が選んだ方向は
間違っていなかったと思いました。


「王道を避けたい」という気持ちが自分を突き動かしてくれる。

星野やっぱり濵田さんは面白い人ですね!
濵田そう思いますか? 私どうやら、“王道を避けたい癖“があるみたいで。これが世間の王道ではないものをチョイスしているんですよね。
みんなと同じであることに、こだわりがなくて、割と何でも楽しめるんです。それが自分の選んだものならとても楽しいですし。
星野王道を避けたいっていう気持ち、僕も共感します。僕は、ロックを好きになったとき、その気持ちが芽生えたんですよね。
最初は、ロックの反骨精神がカッコイイなと思った程度ですけど、そのうち自分の思う道を進むようになっていくと、
周りと同じじゃないことが気にならなくなったし、これが自分の進むべき道なんだと思うようになりました。
そして野球少年がデザイナーになったわけです。
濵田そうなんですか?!見えませんね!
星野濵田さんは何かスポーツをやっていますか?
濵田学生時代はずっとサッカーを真剣にやっていました。今でも週3か週4でフットサルを楽しんでいます。
星野かなり真剣にやってますね。
濵田 体育会系の女子チームと、エンジョイ系の男女ミックスチームの2つのチームに所属していて、土日はほぼフットサル三昧です。
星野大好きなサッカーを、今はフットサルですけど、エンジョイして、大好きなテキスタイルの仕事をして、充実してますね。
濵田さんのエネルギーはこの2つが原動力なんですね。濵田さんにとっての1番は生地?サッカー?
濵田 一番は生地。これはずっと変わらない、不動のエースです(笑)。2番はサッカー、と言いたいところですけど、
実は2番は複数あるんですよ。 いろんなカテゴリーの1番が2番手に並列しているイメージです。
趣味の1番はサッカーですけど、不動のエースには敵いません。 その他のカテゴリーの1番も同じです。
生地が抜かれることは、これからもないと思います。
星野やっぱり“布愛”、ハンパないですね!
濵田今、すごく充実しています。会社の大きな転換期に関わり、2月と9月のミラノ展示会に出展し続けた成果が出始めていること、
「古橋織布」の生地が国内外のデザイナーさんたちから認められ、直接発注をいただけるようになったことに、大きな喜びを感じています。
自分の選んで来た道は間違っていないと。まだまだ4年目の未熟者で、大きなビジョンを定めずにいますが、これまで同様、
小さなことをコツコツと続けていきたいです。
そして「古橋織布」の一員として、綿の素晴らしさをもっと知っていただけるようになれば、うれしいです。


濵田 美希Miki Hamada
古橋織布有限会社
1990年生まれ 東京都出身
縫製を生業としていた祖母の影響で幼少の頃から生地や縫製に興味を抱き、小学4年にして自作の帽子を愛用。
高校では明星学園高校「ファッション部」に在籍。その後の進路で、両親から大学受験を勧められるも、専門学校の文化服装学院へと進み、テキスタイル科で生地のイロハを学ぶ。「ものづくりをしたい」との想いから、浜松で古くからある織屋・古橋織布に興味を抱き就職。生地の商品企画に携わる。
古橋織布の生地は国内外のデザイナーなどから直接注文を受けるほど好評を得ている。