Session1_2

人気者であること=ステータス

変化球を投げるワケ、あまのじゃくな性格。

星野 水崎君と僕の出会いは小学生のときだったわけだけれど、大人になって、まさかこうやって仕事の話をすることになるとは思わなかったですよね。小5までの本当に短い時間だったけれど、こうして自然体で向き合っていられる今を考えると、あの時間がいかに僕らにとって大切だったかが分かります。
水崎 僕は父が転勤族だったから、幼少の頃はいろんな土地を転々としていたけれど、浜松には幼馴染もいるし、思い出の多い町。そのような場所で、こうして星野君と対談するのは、すごく意味がある気がします。
星野 光栄です。水崎君は人気者だったし、余計に思い出深い場所なのかもしれませんね。
水崎 人気者になりたいと思っていましたから(笑)。僕の中で、人気者であることは一種のステータスでしたね。「目立ってやる」といつも考えていて、「こいつ違うな」と言われたかったから、変化球を投げることばかり考えていたあまのじゃくな性格。6年生のときに引っ越した先でも、転入生というだけで目立つのに僕はそれだけじゃ足りなくて、人気者の座を狙った訳です。「初日で(みんなの心を)掴まないと負けだ!」と、いきなり変化球を投げて(笑)。もちろん、掴みはOK で、すぐに輪の中にとけ込めました。中3で再度転校した先でも、同じように臨んだのですが、そこでは失敗、というかとてもタイミングが悪くて。夏の終わりだったので、みんなの気持ちは受験一色。新しい人間のことなんて構っているヒマなかったのでしょうね。人の輪にすぐ溶け込める、コミュニケーション能力が高いと自覚していたものの、才能だけではどうにもならないこともあるのだと、どうしようもない挫折を味わったことを覚えています。だからといって人の輪に積極的に入って行くことをやめたりはしませんでしたね。資質もあったかもしれませんが、転校が多かった環境は僕にとって少なからず、コミュニケーション能力を高める要素になったと思います。今の自分があるのも、そのおかげかもしれません。